不安が押し寄せたとき、誰でもいてもたってもいられない苦しさにかられる。
そして、何とか立て直そうと、必死で脳みそをフル回転し、客観的に気付こうとする。
直面する現場からぐっと離れた客観的な視点から見直すと―――
そう、たとえば第三者に相談したかのような、冷静で落ち着いた意見が出てくるのだ。
そういうものを総動員して、「今自分がなすべきこと」を自分なりに選び取っていく。
ところが、100人の中で3人くらいかな?(私が相談を受けたクライエントさんに関してですが)
「自分がなすべき」有効な行動を選び取っていけない人がいて、
無限ループで同じところをぐるぐる悩み続けてしまう。
これはしんどい。
寝られない日々が続き、
それでも不安の解決は一歩も進まず、
もう頭がおかしくなるくらい困った怖い思考から離れられない。
夜中に100通、「こわい、だめだ」と私のアドレスにメールが来たりもする。(‘◇’)ゞ
本来は、じぶんの意志の力で、より良い方向へかじを切ってほしいのだ。
意志の力でストップの指令を出してほしい。
頭を整理して、もうこれ以上同じことを悩んでいても解決しない、
むしろ正解から遠ざかる行為なのだと自分に言い聞かせて。。
そういうタイプの共通点は―――
・実は(一般からすれば)問題は大したことない
・意外にがんこ
・しつこい(執着が強い)
・なんやかんや自分がかわいい(甘えん坊)
といったものが見えてくる。
そうして”一歩も前に進まない”という困ったパターンになるのだ。
これは、生まれ持った脳の特性も一部あるかもしれないが、
私が注目しているのは ”幼児性”=成長度の低さ。
考えてみれば、5歳の子どもに「これ以上考えてもどうにもならないことは手放せ」
と言ってもムリなわけで、
(自分も幼少の頃、死んだ金魚が生き返らないのを受け入れられず、行き所のない思いをいつまでも引きずっていたことを思い出してみると想像がついてくる)
ただ怖くて泣いている。お母さんか誰かが助けに来てくれるまで
その場でひっくり返って泣いているしかできないのだ。
自分の意思で、「じゃあ残った金魚を長生きさせるためにできる限りの努力を今すぐ始めよう!」といった決断はできないわけだ。
まずは、自立。
自分の人生は自分の責任でどうにかするしかない、と覚悟を決めること。
そして転んでも転んでも、またひざの泥を払い、自分の足で前へ一歩踏み出す強さを―――
その自信を、楽しさを、、、身に着けて行くことが必要なのだと思う。